下関平家踊り

平家踊りは寿永の昔、平家終焉の哀史以来壇ノ浦に入水した安徳天皇の霊を慰めると共に平家一門の供養に端を発しているといわれています。

 

   
平家踊りの舞台風景 ビデオ


平家踊り講習会


 
例年、7月に平家踊り講習会が開催されます。
どなたでも自由に参加することができます。
是非、皆様お誘い合わせの上 ご参加下さい。
会場・日時はこちらから
参加費  無料

                                                                                                        

 

下関平家おどりの踊り方練習動画(you tube)
基本の踊り方(輪踊り)と馬関まつり方式(縦踊り)の練習

odorikata-0.jpg (74913 バイト)

1 体は正面に向く。足は半歩横に開き、左かかとを軽く上げる。手は右目斜め上で手拍子2つ叩く。(チョンチョン)

odorikata-1.jpg (72671 バイト)

2 体は左を向き、左足を軽く上げて下におろす。手は手拍子1つ叩き、右手は左胸を押さえ、左手は上に上げる。(体は1〜4まで左向き。右手は左胸を押さえ、左手だけを動かす。)

odorikata-2.jpg (70293 バイト)

3 右足を前に出す。左手、顔を中心になぜるように早く下げて上げる。

odorikata-3.jpg (76090 バイト)

4 左足を右足の前に出す。左手、下げるだけ。

odorikata-4.jpg (71363 バイト)

5 右足は軽く左足にそってすり上げる。左手は高く上げる。

odorikata-5JPG.jpg (74913 バイト)

6 体は正面を向き、あがった右足は正面を向くと同時に体の前におろす。左手は右胸につけ、右手は上に上げる。8体は5〜8まで正面を向く。)

odorikata-6.jpg (73955 バイト)

7 左足は右足横に揃える。右手は顔中心に早く下げて、上げる。左手は右胸につけておく。

odorikata-7.jpg (76491 バイト)

8 右足を後ろに引く。右手は左胸に付け、左手を上げる。

odorikata-8.jpg (79093 バイト)

9 左足を軽く上げ、同じ所を踏みかえす。左手は右胸に付け、右手を上げる。

odorikata-9.jpg (76386 バイト)

10 体を右に向ける。右足を体の1歩前に出す。左手を上げ、右手は左肘で止める。

odorikata-10JPG.jpg (77910 バイト)

11 左足は右足前に出す。左手は右手の上にかぶせると同時に手を跳ね上げる。(9〜10は右を向く)

odorikata-11.jpg (78848 バイト)

12 体は正面に向く。右足は左足半歩横に置き、手拍子2つ叩く。(初めに戻る。)

 

 下関平家踊りの源を求めて  
 
時は1183年、源氏の後楯、後白河法皇から平家追討の命をうけた源氏は、義経を先頭にして一の谷(今の神戸市)、屋島(四国香川県)と平氏を圧倒し西へ西へと進みました。

平氏は知盛を中心にその領地であった下関の彦島に勢力を集め、壇ノ捕を(関門海峡下関側)決戦場として最後の守りをかためました。しかし、運命は平家に味方せず、時速15キロの潮流を有効に利用した源氏方に勝利の女神がほほえみました。

 時あたかも寿永四年(文治元年、1185年)三月二十四日、わずか八歳の幼帝安徳天皇を擁した平家の大軍は関門海峡を血にそめ、海底深く消え去ったのであります。武士たちにとって海は最も静かな安らぎの場であったのかも知れません。

関門橋がその影を海面におとすあたりで「波の下の都」を求めて海中に沈んだ宮中女官たちのあの世への旅立ちは、むなしく哀れなものであったに違いありません。

平家おどりは、伝説によれば平家一門の供養の踊りにその源を発すると言われております。
今から千拾余年前、つまり903年から972年延喜三年から天禄二年の頃、あまねく諸国を巡って衆生を済度した空也上人(この人は下関名池の地名の言われに関係のある人です)、また、一遍上人(この僧侶もまた彦島に関係のある上人です)などによって始められた「念仏おどり」に瑞を発していることからみますと、この伝説も一概に否定することはできず、悲運の平家一門の亡びゆく多くの武将や女官たちに対して精霊供養のために踊ったことは当然であろうと考えられるのであります。

平家一門全滅のゆかりの他、下関で平家一門を供養するため、盆の念仏踊りが始まり、海上交通の要衝にある港町という条件と、八百余年という長い年月の間に時代の洗礼をうけ、本来供養の踊りが、リズムをかえ、テンポをかえて、今日のような姿となって受け継がれてきたのであります。
平家踊りは、太鼓、空樽、三味線が通例でありますから、近世の影響が強く硯われていると見なければなりません。

「平家踊り」の名称は明治の時代に入ってからであります。
踊りの特徴は、糸操式であり、日本民踊では今のところ、これ一つしか発見されていないということです。
江戸末期から盛んに行なわれた歌舞伎の人形振は平遣い式が多いのですが,糸操式で有名なのは、「操三番」であります。
また、寄席の踊りでも「あやつり」と称して糸操り式のものを踊りますが、平家踊りの方がテンポの速いだけ技術の程度が高いのであります。
 



odori-toruko.jpg (102189 バイト)

   

 

トップページへ