下関平家踊り・ 音頭

平家踊りは寿永の昔、平家終焉の哀史以来壇ノ浦に入水した安徳天皇の霊を慰めると共に

平家一門の供養に端を発しているといわれています。 

後年、多数の音頭が口説かれ、北前船の重要な寄港地として、西の浪華と呼ばれるまでに発展した下関の音頭は

北前船によって日本全国に伝えられ「引接寺口説(いんじょうじくどき)」などは、

下関が発祥地の地であることが忘れられてしまうほどに日本中で広く口説かれました。 

下関平家踊り音頭の口説き方には普通 基礎とも云える「平口」の三口音頭がありますが、その一口目、

もしくは二口目に「ナガシ」「ユスリ」「フシ」等が入ってより一層 音頭が生き、

太鼓・三味線とも相俟って独特の妙味を醸し出すもので、それだけに唄い方も大変難しいものです。

 

          

hatton2005JPG.jpg (42942 バイト)                                    
下関平家踊りの音頭はたくさんの物がありますが

 代表的な物は

源平音頭       源平最期の戦い、壇之浦合戦を唄った代表的な音頭です。           

             現在では安徳帝をはじめ、平家一門の供養のため毎年催される「先帝祭」や、夏の「馬関祭り」において

             この音頭がよく唄われております。

那須与一      那須の与一の功名手柄を口説いた音頭で「ナガシ」もあり「ユスリ」もあって、

           長さも手頃で唄いやすい音頭です。

引接寺お杉

八百屋お七

丹羽与作

海老屋の甚九

椀久 松山

観光音頭

御堂万歳

などがあります。

              
 

はやし言葉について

平家踊りでは、くどき(音頭)の合間に、大変調子の良い"はやし言葉"をかけて、櫓方と、踊り方が一体となって楽しみます。
この"はやし言葉"について、面白い話しを一つ紹介してみたいと思います。

昔、彦島の地で、一遍上人の高弟である西楽法師と、源平の戦いに破れた平家再起のために努力していた彦島開拓の祖といわれる十二氏との話し合いの中から生まれたと伝えられています。

平家の再起よりも、子孫の繁栄と、島の開拓に十二氏がカを合わせて欲しいと願う西楽法師の熱意に
ほだされた人々が、法師に「全ておまかせします」と答えたので、
「マカショイ・マカショイ」「アーリャ・アリャマカショイ」となり、
法師が「良かった、本当に良かった」と言われた言葉は
「ヤトエーソラエー・ヤトエノエー」となり、
又、
「ヤッサ・ヤッサ」と言うのは、人々が、島の開拓に励む様を現わしているといい伝えられています。

これは、彦島に伝わる話を、富田義弘氏の「彦島あれこれ」から抜粋したのです。
そのほか地方によっては、はやし言葉や言い伝えも、かなり違うように聞きますが、皆様のところで伝えられているものがあれば事務局までご一報下さい。
(下関平家踊保存会会報3号より)
                                 
音頭「那須の与一」

                     

 「引接寺お杉」  
兵庫口説は近畿地方を中心として広く行渡り、はやり音頭と
して板本化され、名称も複数あり、各地で音頭本として使用されたものらしい。
この「赤間関坊主落」は現代では、「引接寺お杉」として唄われています。
これは、引接寺和尚と小間物屋娘お杉との間の事件の顛末を記したものです。
即ち四月八日の薬師様詣りに小間物屋娘、お杉が引接寺の和尚を見染めたことから始まる物語です。


引接寺お杉

国は中国長門の国よ
小名を申せば赤間ケ関よ
関は千軒並びはないが
萬小間物京屋の娘
歳は十六其の名がお杉
同じその町の引接寺様に
四月八日はお薬師詣り
薬師詣りて和尚を見染め
一目見るより早恋となる
二目見るより我家に帰り
三目と見られぬ和尚の顔よ
我家帰りて二階に上り
硯引き寄せ墨磨り流し
鹿の巻筆小筋の紙に
書いた文をば七尋あまり
思う恋路を細かに書いて
文の使は寺仲間の
和尚様へと差出しければ
和尚手に取り封切り見れば
世にも太気な女もござる
是非もならぬと文押し返す
  情なや
「お杉やむごいよ細谷の
丸木橋かや文戻されて
又も使がお小僧様の
之をお杉に送りて給え
お杉手に取り封切り見れば
之は我が手で我が書いた文
文をさらされ・・・・・

 

 

 
音頭帳完成に寄せて
                                   音頭帳作製委員長 植田喜好

昨夏、念願の新しい音頭帳が完成した。
会員、とりわけ「音頭取り」の皆様には大変喜んで貰えたと思う。
各連の音頭口説きを統一しては……という発想からスタートした音頭帳作りも「音頭帳作製委員会」の協議を重ねること十数回。

「近松本」という格好のお手本を土台に、実際に櫓上で使用し易く便利なものをと
アイデアを出し合い、専門家のご意見を拝聴し、いつまでも残る愛される音頭帳作りを目ざした。

中でも大変だったのは、ひらがなを漢字に置きかえる時、実際の古名、地名、人名等 言葉と意味が必ずしも一致せず、辞書と首っぴきで苦労の連続であった。

しかし、破れない「ユポ紙」の使用、行間を広くあけた大きい字の使用は「音頭取り」が最も要望していたものにこたえることが出来たと自負している。

聞きなれない新しい音頭七ー八種を加えて益々充実した感のある新音頭帳を、いかに会員の皆様によって生きた使い方をして頂けるか、又いつまでも可愛がってもらえるか、それは各人各人の「郷土伝統芸能平家踊り」に対する価値感、存在感にすがる他ないが、少なくともこのことが会員の意識高揚に役立ち、平家踊りの発展につながることを信じつつ、
音頭帳完成に寄せて、作製の一端を担った一人としての切なる願望とさせて頂きたいと思う

               (下関平家踊保存会会報 やぐら 第8号より 1991年2月)

 

 

トップページへ